曽祖父の禁忌の霊術/コラム

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曽祖父の禁忌の霊術

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ぼくの父は15歳の時、篆刻家の先生に弟子入りし、見込まれて一番弟子に。
日本書道展に年齢を偽って出展してみごと金賞を受賞。
さらに長唄の杵屋一門に入り、名古屋随一の三味線弾きに。
芸術家として天才でしたが実業家の曽祖父から
「芸術では裕福になれない」「お前は類稀なる霊能がある」と言われて、宗教家になりました。

父は病弱で短命だと宣告されていました。
しかし、旧制中学の先輩から命を救われたのです。
その先輩は若干17歳で特攻隊に志願するも肺を患って除隊。
ある有能な霊能者から病気を治す霊術を授かって、後輩だった父の病気を完治させたのです。
それをみた曽祖父は、その17歳の青年を師と仰ぎ、彼を担ぎ上げて神霊治療所をつきりました。
その縁があって父は青年の妹と結婚しました。それが、ぼくの母です。

実は、母は別の男性と結婚する予定でしたが、その時婚約者の街を伊勢湾台風が襲いました。
婚約者は行方不明になり、母は結婚を諦めていたとき、不思議な縁で父と結婚しました。
しかし、結婚して8年経っても子宝には恵まれなかった為、曽祖父が禁忌の霊術を使ったのです。
そしてちょうど10年後に長男を差受かりました。それが、ぼくです。

ぼくは生まれたとき、ヘソの緒が三重に巻きついて仮死状態でした。
ぼくを取り上げた助産師さんは自然分娩で取り上げた赤ちゃんの数が日本一という実績を評価され天皇陛下より紫綬褒章を受けています。
その助産師の妹さんは霊能力が強い人物で、ぼくが生まれる前夜に、ある不思議な夢を見たそうです。
荘厳な雲の中から一筋の光が差し込み、白い着物を着た赤ちゃんがゆっくり舞い降りる。そんな夢を見た翌日、ぼくが生まれたのです。
泣きもせず、心臓が止まりそうな状態でしたが曽祖父の祈祷によって一命を取り留めました。
その奇跡を見た助産師姉妹は、曽祖父に弟子入りしました。

曽祖父の跡を継いだ父は、3000人の命を救うということで【三千彦】と改名しました。
その父は35歳のとき、所属団体から抜け出して自分の組織を旗揚げするか迷っていました。
幹部会の席で当時3歳だったぼくは、雪見障子に頭から飛び込みました。
割れたガラスの上で、ぼくは無傷のままニコニコ笑っていたそうです。
その事件によって父の迷いは吹っ切れて独立を決断しました。

ぼくが大学に入学したとき、「おまえはこれからわしより多くの人を救う使命だ。
だから名前を【多加仁】にした」と教えてくれました。
ぼくの名前は、カタカナでできています。【タ・タ・カ・ロ・イ・二】これは芸術家だった父のジョークです。

父が好きだった東京で、ぼくは会社を創業しました。
父の親父は東京人で早稲田大学大学院卒、陸軍の近衛兵でした。ぼくの守護霊には、その人がついています。
曽祖父も祖父も、そして父も創業者です。
だから、ぼくは父の組織に甘んじないで東京に出て会社を創業しました。

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