謙譲と遠慮、このふたつは似ているけどまったく違います
これは30年鑑定をやっていていつも感じることですけれど。恋愛での悩みのほとんどが、コミュニケーションの問題だと思います。コミュニケーションとは、つまり伝え方の工夫なんですよね。そんなにコミュニケーションついて考えるとき、日本特有のマナーが影響します。それが「節度」とか「節操」という感覚。過不足なく「いい塩梅」にそしてできるだけ穏便に。「調和」を大切にする、日本人らしい考え方です。対人関係では『謙譲の美徳』とも呼ばれます。じつは、これがクセものなんですね。
そもそも人間関係をスムーズにするための謙譲の精神。それが、いつの間にか誤解され、コミュニケーションの障害になってしまう。過剰な遠慮も、そのひとつです。
謙譲と遠慮…
このふたつは、似ているようでまったく違います。多くの日本人は、始めて会う人や、さほど親しくない人に対して、遠慮しがちになる傾向があります。自分の好みや気になることをできるだけ抑え、相手に合わせようと努力する。
遠慮とは、自己表現を抑える力のことです。これがのちのち、亀裂を生む原因にもなるわけです。いくらガマン強い人でも、自分をずっと抑え続けるのは難しい。仮に努力の末、ガマンし続けても、必ずどこかで歪みが生じる。あるとき、「こんなにガマンしてるのに…」というエゴが出てくる。その結果、相手や状況に対しての不満に変わる。
人間って「いい人」のままでは、居続けられないんですよね。そして不満を抑えきれなくなると突然キレたり、理由も言わず辞めたりする。ガマンしてきた分だけ、よけいに過剰な表現や行動をしてしまうのです。で、周囲は、「え、なんで?」「いい人だったのに…」となる。場合によっては、「嫉妬」や「恨み」に発展することもあります 。このように遠慮するデメリットは、かなり多いんです。
では本来の謙譲や謙虚っていったい、どんな意味なんでしょう。簡単にいうと、威張らない自己表現であり、さらにいうと、自分を低く見せる表現のことです。自分の意見を主張する前に、必ず相手の意見をきく。その上で、自分の意思を伝える。これが謙虚であるということ。
遠慮と決定的に違うのは、ちゃんと自分を表現する点。ただ「相手が先」で「自分が後」というだけ。たとえば、ぼくは、誰かと食事に行くとき、「何が食べたい?」と聞きます。すると、「何でもいいですよ」と答える人が、けっこう多い。でも、正確な本心ではないはず。「なんでもいい」と答える人の本心は、おそらくこんな感じ。「今すぐには思いつかない」「候補を出してもらえると選べる」「食べたいものはあるけど、相手の好みと合わないかも…だから相手の意見にあわせよう」
どうですか?本心を聞いたところで、別に失礼にも当たらないし、腹も立たないはずですよね。けれど、「なんでもいい」なんて言われてしまうと、「選ぶのが面倒くさい」とか「あなたとの食事に興味ない」という印象を受けてしまうんです。もったいないですよね。自分の意見を言ってしまうことで、賛同を得られなかったり、否定されることもあるでしょう。でも、気を遣ったあげくに、相手に不快な想いをさせたのでは、本末転倒ですよね。だったら、素直に本心を言ったほうがいい。
「何か食べたいものありますか?」と質問された場合、
「そうですね、すぐには思いつかないけどお酒に合う食事がいいです」
「昼はカレーを食べたので別のものがいいです」
と、こんなふうに、答えのバリエーションはいくつもある。それこそ「なんでもいい」わけです。「とりあえず」という感覚で、めんどくさがって返答したり、承諾しないで。あとあと、負担にならないよう、相手に敬意を払うことです。無理はしちゃダメ。けれど敬意は払って、ちゃんと自己表現してあげる。これが、健全なコミュニケーションなのです。