その昔、地獄と極楽を 見学した男がいました
ぼくの元には、昔から
利他的な人材が集まってきます。
でも、根っこが利己的な人は
途中で苦しくなるそうです。
底知れない欲の心や、
怒りや不満からの愚痴、
恨みや妬みの感情があると、
苦しみを生み出してしまうのです。
自分さえよければ
他人なんてどうなってもよい、
という心は誰にでもあり、
それを滅するのが人間の修行なのです。
相手や周囲を気にせず、
「自分だけが儲かりたい」
「認められたい」という心では、
ひとは付いてきてくれません。
ぼくは、そういった感情を滅するために
ものすごく修行しました。
腹が立ったり、
うらんだりしている時は、
相手を思いやろうという気持ちにはなれないでしょう。
利己的な言動をとると、
周りの人からは、
「あの人は思いやりがない」
となりますから、
信頼や尊敬は得られないでしょう。
「自分さえよければよい」
という考えでいると、
相手を傷つけるだけでなく
自分自身も苦しめてしまうのです。
月並みですが、
幸せになりたければ
相手を思いやることです。
お金が欲しければ、
まっすぐで清らかな言葉を
周囲にかけることです。
相手の幸せを願って出た言葉は、
じぶん自身への思いやりとなって
返ってきます。
これを【自利利他(じりりた)】といいます。
利とは『幸せ』という意味ですから、
相手の幸せを思いやるだけで
自分が幸せになるということです。
その昔、地獄と極楽を
見学した男がいました。
まず地獄へ行ってみると、
ちょうど昼食の時間。
食卓の両側には、
罪人たちが並んでいます。
テーブルの上を見ると、
山に盛られた豪華な料理が並んでいます。
しかし罪人たちは、
ガリガリにやつれて貧相でした。
よく見ると、彼らの手には
1メートル以上もある長い箸が
持たされているのです。
罪人たちは、ごちそうを
その長い箸を必死に使って、
自分の口へ運ぼうとしますが
まったく入りません。
イライラして怒りだす者が出て、
隣が箸でつまんだ料理を奪いあう
醜い争いがはじまったのです。
しばらくして男は、
地獄を後に極楽へ向かいました。
こんどは夕食の時間らしく
極楽の住人たちが、
食卓に仲良く座っていました。
料理は、見事な珍味ばかり。
地獄と違ってふくよかで、
肌もつややかでしたが、
ふと箸に目をやると、
地獄と同じように
1メートル以上もあるのです。
疑問に思いながら
夕食が始まるのを眺めていると、
その謎が解けました。
極楽の住人は、
長い箸でごちそうをはさむと、
「どうぞ!」と声をかけながら
向かいの人に食べさせたのです。
相手は微笑みながら、
「とても美味しいです!では、お返ししますよ。何がお好きですか?」
と、食べさせていました。
同じ食事を前にしながら
おのれのために争い
傷つけ合っていた地獄の住人と、
相手を思いやり、思いやられ、
お互い感謝し合いながら、
食事を楽しんだ極楽の住人。
どちらが幸せか、
明らかです。
自分さえよければでは、
幸せになれません。
幸せの花は
相手と自分との間に咲くからです。
ぼくが子どもの頃、
母から聞かされたお話でした。
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