2011年6月
あなたは今、不満がありますか?
それとも、人生に満足していますか?
不満と満足は表裏一体です。
不満というものは、
進歩させる原動力です。
だから不満が無くなっては、
人間としての価値を失います。
人間以外の動物には、不満という感情がありません。
与えられた環境がすべてだからです。
でも、人間は「比較」ができます。
他人との比較、過去との比較から、
不満の感情がうまれるのです。
さらに、こう考えてください。
なぜ不満を強く感じてしまうのかというと、
すでに別の問題が解決されたからなのです。
たとえば、
普段、私たちは無意識で呼吸していますよね。
しかし、風邪をひいて鼻がつまったとき、
「呼吸ができることってありがたいな」
と、あらためて感じることになるでしょ?
つまり、
普段の生活の中で、思い通りになっていることは、
べつに意識されていないのです。
「自分の人生は嫌なことばかり」
「まったく、つまらない人生だ」
そんなふうに考えたりしませんか?
しますよね。人間だったら、だれでも。
たしかに、つらいこともある。
でも、それに耐えて生きている。
それは、自分に生きる力があるからなんです。
ゆえに、不満を無理に抑える必要はない。
不満は、素直に感じたらよいのです。
つねに人は、何らかの不満を抱えているものです。
ひとつの不満が消えても、
また新しい不満が発生します。
だから、しあわせとは、
不満のない人生をいうのではありません。
不満を受け入れる懐の深い人生、
それが「しあわせ」を呼び込むのです。
不満を楽しむ!
そういう発想の人には、
自然な形で幸運がやってきます。
taka
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(原宿の占い師、中島多加仁)
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この道を志した二十歳のころ、
当時の師匠から
道元禅師が残した
『正法眼蔵随聞記』
を勧められました。
それには、このようなことが書かれてあります。
ーーーーーー
もともと善や悪などはない。
善や悪は、縁に随って起きるものだ。
例えば、ある人が道を求める心を発して、
山林に入るときは
「山林の中での暮らしはよい。しかし世の中は悪い」
と言う。
また、道を求める心が弱くなって山林を出るときは
「山林は悪い」と考える。
これはつまり、 決まって心に一定の姿はなく、
縁に引かれてどのようにもなるものだ。
だから、よい縁に出会えばよくなり、
悪い縁に近づけば悪くなる。
わが心は、もともと悪いなどと思ってはいない。
ただ、よい縁に遵わねばならないのだ。
ーーーーーー
人の心には善悪はなく、
環境や条件によって善悪が生じてくるということです。
人は、生まれ育った環境の中で、
人格を形成していきます。
罪を犯してしまう人間も、
幼少期や青年期の家庭環境や、
その後の生活や社会環境によって影響を受けて、
積み重なっていって悪縁となり、
ついには悪心を生じ、罪を犯してしまうのです。
その反面、世間から善人と言われている人も、
じつはもともと善人なのではなく、
善縁に会ったおかげで善の心が育ったのです。
だからこそ、よりよい環境に身を置き、
『善縁』に従い、
より良い指導者につくことが必要なのです。
taka
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神社というのは、巨大な魔法陣なのです。
ある目的に特化した、汎用性の強い魔法陣です。
黒魔術でいうところの魔法陣は、
その目的を絞り込み特化するため、
コンパクトになっていきます。
しかし神社は、
ある種の汎用性を持たせた
魔法陣として作成されました。
神社の果たしている役割は、
ずばり「神を降ろす装置」です。
無数にいる神々によって
個別の装置を用意したのが
西洋の魔法陣で、
どの神でも呼べるように汎用性を持たせたのが
日本の神社というわけです。
ソロモンの鍵のように
72柱の悪魔を使役するには、
それぞれ個別の魔法陣が必要です。
しかし神社は、
ある一定のパターンで
多くの神に対応できるシステムなのです。
「神様がおわします」
と思っている人間の心を形として
生まれたメカニズムから、
神とか悪魔につながるのです。
神と悪魔、それは概念にすぎません。
もし汎用性の高い魔法陣が
メンテナンスされず放置されていれば、
何の神が降りてもおかしくはないのです。
そもそも信仰とは
「ここにはこういう神様がいます」
という気持ちから生じるものです。
朽ち果てた神社にも
神聖な神がいると信じている人が多ければ、
そこは神域です。
しかし「なんだか不気味で怖い」
と思う人が多ければ、
魔物が棲んでいる可能性があります。
原始宗教の多くは、
そういう概念のメカニズムなのです。
ゆえに神社には、
幾柱もの神々が降りては帰り、
去っては再来しているようです。
そのタイミングが合わなければ、
人々の願いは聞き入れられません。
そればかりか、
いわゆる祟り的な憂き目に遭ったり、
なにかしら運が悪くなったりするものです。
ですから風水では、
「神社の近くには住まないこと」
と注意するのです。
ただし、
お百度参りとか、何日連続参拝などが、
人によって効果があるのも
それなりに理由があるのです。
taka
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日本人は良い意味でポリシーが薄いところがあります。
それは占術の普及傾向にもあらわれています。
かつて
「東の気学、西の推命」
という言葉がありました。
これは
「九星気学は東京で流行り、四柱推命は関西で定着している」
という意味です。
明治時代に阿部泰山が
関西で四柱推命を広め、
大正時代に園田真次郎が
九星気学を関東で広めました。
それゆえ関東と関西では、
占術のニーズが若干違うのです。
この四柱と気学は、
基本的に相性が悪いようです。
四柱の占術家は、
気学を低級占術だと揶揄したりします。
しかし気学家は、
残酷な判断で救いのない四柱を嫌う傾向にあります。
ところが最近、その関係が崩れてきました。
ぼくは鑑定をする際、主に紫微斗数を使います。
その理由は、細かく当たるし、
可能性を引き出しやすいからです。
が、研究会やレッスンでは、
四柱推命から姓名判断、周易、断易、六壬神課、タロット、
そして九星気学まで幅広く教えています。
関西や中部の四柱推命家が、
よく紫微斗数を学びに訪ねてこられます。
そして、ついでに気学を教えると
「なるほど、気学にはそんな使い方があるんですか」
と感心されます。
また、関東の気学家も
紫微斗数を習う人が増えていますから、
話しの流れで四柱推命の話をしますと
「四柱って意外と面白いんですね」
という具合に、興味を持っていただけます。
易にしても、
周易と断易と六壬易とでは、
概念も使い方もまったく異なります。
とくに周易と断易は、
お互い反目する傾向がありました。
しかしここ最近、周易家に六壬を教えたり、
六壬家に断易を教えたりすると、
すんなり入って来るようです。
流派を越えた占術の普及という使命は、
日本人というフレキシブルな民族だからこそ
成せる業なのでしょう。
中国で生まれ台湾で育った数々の東洋占術を、
我々がこうして普及しているのも、
じつはシンクレティズム(重層信仰)を持つ
日本人の使命なのだと強く感じています。
taka
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日本人は占いが好きです。
メディアは、
占いの記事を欠かさない日などありません。
自分の生き方に悩んだり、
思うように仕事や恋愛が進まなかったりすると、
何気なく占いの記事を読んでしまうのが
日本人の感情なのです。
日本人にとって占いは、
暮らしのリアルな問題でもあります。
新生児の命名や学校選び、
結婚相手選び、家探しにも、
占いを参考にしようとします。
占いの記事を信じる人は、
占いの内容と自分の運命が、
必然の糸でつながれているように感じてしまうのです。
ただ漠然と、
思い当たるふしがあるかのように。
そして、何かわずかなことでも、
偶然なのか、ふだんと違ったことでも続いて起こると、
その偶然を必然の糸でつなごうとします。
雑誌やテレビ番組は、
不特定多数を相手に作られています。
ですから、表現方法は類型的でなければなりません。
そこで取り上げられる占いは、
生活体験に共通した特徴を持つものから
導き出されているわけです。
しかし、
雑誌やテレビであふれている占いにもかかわらず、
自分にとって災難といった
好ましからざることへの恐れを
重ね合わせてしまうのが日本人なのです。
とくに日本人に根強いのは血液型診断です。
血液型別に行動や性格を分析した
『自分の説明書シリーズ』が、
累計540万部を突破しています。
昔から日本では
「A型の人は几帳面でB型は自分勝手、O型はズボラ、AB型は変人」
など、
血液型ごとにステレオタイプな性格イメージが定着しています。
血液型が発見されたのは1900年といわれています。
そして、それから約20年間、
世界中で「血液型と性格」について研究が行われました。
その研究を参考に、
心理学者の古川竹二氏が学説として発表したのです。
占い遊びとして親しまれている血液型ですが、
当時は「学問的に根拠のある説」として考えられていました。
なぜ日本で、
これほどまでに血液型がブームになったのでしょう。
それは、4つのタイプが絶妙なバランスで存在するからです。
日本人は、
A型が約40%
O型が約30%
B 型が約20%
AB型が約10%
というように、どの血液型もまんべんなくいます。
しかし諸外国では、
血液型の分布が偏っていることの方が多いようです。
たとえば南米のグァテマラでは、
O型人口が全体の95%を占めています。
これでは血液型で性格を診断する意味がありません。
さらにいうと日本人は、
他人に気を使い過ぎる傾向がある民族です。
ゆえに、他人の性格や自分との相性が
気になってしかたがないのです。
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