2011年4月
占術界でいう「金運」とか「財運」は、
具体的には「お金の入ってくる時期」
あるいは「物に恵まれる時期」を意味しています。
それを『発財』と呼びます。
現代人は、いわゆる経済的活動(仕事)によって
金銭を得て生活していますが、
まずそれが何のためになされるのか、
またそれを支える財とは何か、
金銭とは何かを考える必要があるようです。
「財」という言葉の意味は、
「値打ちがあって人の役に立つ金銭や物資のこと」です。
私たち人間は動物と違い、
物が無ければ生きていけません。
現代人が使う金銭とは、
要するにこの「物」が凝集されたものであり、
「物と物を等価交換するためのシステム」
だといえるでしょう。
金銭がたくさんあれば、
欲しいものを買ったり、
美味しい物を食べたり、
好きな土地を旅したりすることができます。
また、嫌な仕事からも解放されて、
一日中好きなことをして暮らすことも可能です。
つまり金銭とは、
私たちが属している物質的な世界の制約をほどき、
精神的および物質的に自由を獲得する、
自分の理想を実現していくものであると言えるのです。
しかし金銭は、時として
人格をゆがめてしまう恐れもあります。
命術によって
「金運が良い」とか
「金運が悪い」と判断がくだされます。
金運が良い人とは、
金銭感覚が正しく機能しているタイプを指します。
そして金運が悪い人とは、
金銭感覚が壊れているタイプを指すのです。
けっして「金運がよいから宝くじに当たる」のでも、
「金運がよいから給料が高い」わけでもありません。
金運が良い人とは、
借金で首が回らなくなったりしないのです。
逆に金運が悪い人は、給料がアップしても、
つい気持ちが大きくなって
必要のない贅沢品を購入したりします。
そのような人が、ギャンブルや宝くじに大当たりしてしまうと、
瞬く間に破滅の道を転げ落ちていくのです。
それが「金運の悪い人」の典型的な例です。
術師はその理をよく認識した上で、
鑑定に従事せねばなりません。
taka
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(原宿の占い師、中島多加仁)
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気の流れを調べる、
ダウジング(Dowsing)という方法があります。
それは「ペンデュラム」という「振り子」を使います。
別名『フーチ』と呼ばれ、
古くは「水脈や金脈」を探すときに使用されました。
いまでも、全国各地の「水道局の職員」が、
地中に埋まった「水道管」を探すときに使っています。
ダウジングは4000年以上の歴史があります。
「水脈占い」と訳されることもあり、
水源を探したり、金銀の鉱脈を見つけるために使われてきました。
日本では、空海(弘法大師)がダウジングで水脈を探し、
数多くの井戸を堀当てたと、全国各地に記録が残されています。
またべトナム戦争のとき、
アメリカ兵が敵の「地雷」に悩まされ、
半信半疑でしたがダウジングで地雷の場所を調べたら、
驚くほどの的中率を示しました。
なぜか科学では説明不可能のようです。
それに似た方法で「オーリング・テスト」というものであります。
別名「筋肉反射テスト」といいます。
「キネシオロジー(kinesiology)」とも呼ばれ、
医学の面でも利用されています。
親指と人差指で輪を作り(オーの字)、
別人がその輪に両手の人差し指を入れ、
左右に引っ張り、指の力の度合いを測定する方法です。
医師の中には、
使用する薬の「薬物適合性診断」をする専門家もいます。
片方の手に「薬」をのせてテストをすると、
体に「有害」である場合は、
指を引っ張ると、指が簡単に開いてしまいます。
逆に「有益な薬」であれば、
引っ張っても指はなかなか開きません。
とても不思議な現象です。
これは、物質から出ている電磁場を、
手が感知して、脳を通じて筋力が変化するためです。
つまり人間は、目や耳からはいる情報だけではなく、
体(皮膚)でも感知するということです。
また、患者を「目隠し」した医学実験もあります。
人は目を閉じていても「色や光」の影響を受けます。
赤い部屋では、人間の体温が上がり、血圧も呼吸数も上昇します。
青い部屋では、血圧呼吸数が下がります。
脳波を調べると、赤い部屋では、
ベータ波(目覚め状態)が出ます。
青い部屋では、アルファ波が多く、
シータ波(うとうと状態)も現われます。
風水のよい場所にいると体(指)の筋力が強まり、
悪い場所では筋力が弱まります。
これがオーリングで現れる「筋力の変化」です。
実はこの反応は、
私たちの体が言葉より先に風水の良し悪しを
「体が感知」しているからです。
taka
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(原宿の占い師、中島多加仁)
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神は人に、何を望んで生命を与えたのでしょう。
人は日々悩み苦しみ、悪い心も持ち、
神とは遠い生活をしています。
産まれながらにして病気で悩む人も、
戦争や災害で苦しむ人々も、
いったい、なんのために産まれてくるのでしょう。
日本の神話では、
「神」は人間の先祖だと教えています。
ニニギノミコト(天津日高彦瓊瓊杵尊)という神がいます。
地上を統治させるために派遣したアマテラスの孫に当たる神さまです。
ニニギノミコトは、笠沙の岬で美しい女性に出会いました。
「あなたは誰の娘で、名前は何といわれます?」
と尋ねると、
「私は大山津見の神の娘で、名前はコノハナサクヤ姫といいます」
「あなたに兄弟はいるのですか」
と聞くと、
「姉の石長比売(いはながひめ)がいます」と。
するとニニギノミコトは、
「あなたと結婚したいと思います。いかがですか」
と求婚しました。
「いまはお返事しかねます。
父の大山津見(オオヤマヅミ)がお返事するでしょう」
との返答だったため、
ニニギノミコトは大山津見の神に
「娘がほしい」旨、使者を遣いました。
父の大山津見はたいへん喜び、
姉の石長比売(いわながひめ)も副えて、
たくさんの結納品を持たせ二人を差し出したのです。
しかし、姉はとても醜くい容貌だったので
そのまま送り返されてしまい、
コノハナサクヤ姫だけを泊めて、一夜を交わりしました。
しかし、石長比売を返された大山津見は、
その行為を残念に思いました。
「私が娘を二人一緒に献上したのには理由があります。
イワナガ姫は岩のように永遠に変わらないという意味があります。
契っていたなら、あなたも岩のように変わらない永遠の生命が得られていたでしょう。
コノハナサクヤ姫は、桜の花が満開になるように栄える意味がありますが、
イワナガ姫を返されて、コノハナサクヤ姫だけお留めになられましたので、
残念ながらあなたの生命は、
桜の花みたいにはかないものとなるでしょう」
というわけで、今日にいたるまで天皇の命は永遠ではなくなりました。
しばらくして、コノハナサクヤ姫がニニギノミコトに
「私にはあなたの子ができました。もうすぐ産まれます」
と言いました。
しかしニニギノミコトは
「それは私の子ではない。きっと国津神の子に違いない」
と否定したのです。
驚いたコノハナサクヤ姫は、
「もし国津神の子でしたら無事には産まれないでしょう。
しかし天津神であるあなたの子でしたら、
無事に産まれるに違いありません」
と反論すると、
大きな御殿の産屋の中に入り、
出入り口をふさいで産屋に火をつけるよう命じ、
その中で出産しました。
火の盛んに燃えている時に生まれた子は、
火照(ほでり)のミコトといい、隼人の阿多の祖先になります。
二人目に生まれた子は火須勢理(ほすせり)のミコト。
三人目が火遠理(ほおり)のミコト、
またの名は、
天津日高日子穂々手見(あまつひこひこほほでみ)のミコト
といいます。
こうして人間の先祖が続々と産まれます。
このように神も、
人と同じく、恋愛や結婚で悩んでいるのです。
その子孫として生まれたわたしたちは、
その先祖の業(カルマ)を背負って生まれてきますから、
すべての人間に悩みがあるというわけです。
その悩みを乗り越えて、精神的に成長することに、
私たち人間の生きる価値があると思うわけです。
先祖である神々が作った罪を、私たち子孫が償う。
なんとも因果な話しですね。
でも、罪だけじゃなく恩恵もありますから、
けっして神を恨んではいけません。
当時、まだ誰もが未熟だったのです。
人が成長するのと同じように、
神も成長します。
(原宿の占い師、中島多加仁)
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音楽鑑賞は心の呼吸です。
「音を観る」と書いて観音となります。
ゆえに芸術や音楽に親しむことは、
物質的な成功を得る方法を暗示してくれます。
そればかりでなく、知覚できる現象世界と、
知覚を超えた精神や霊的な世界との間を
つなぐ役目を果たしているのです。
音楽を聴く。
それは聖霊の持つ美の一部なのです。
音楽を体との関係で正しく使えば、
音が調和され、色が調和され、動きそのものが調和されます。
そこから生まれた美は、
心と調和した魂を表現するものに近くなります。
★五行で観る音楽のジャンル
木性……ポップス、流行歌、アニメソング
火性……ジャズ、ラテン、ボサノバ、サンバ
土性……クラシック、宗教音楽、民族音楽懐、童謡、メロ
金性……ロック、テクノ、エレクトロニカ
水性……イージーリスニング、癒し系、環境音楽
ちなみに、ぼくは若い頃からジャズとかボサノバなど、
火性に属する音楽をよく聴いていました。
もちろんそれが好きだからですが、
それは私が木性の強い人間だからです。
木性は火性を生みます。
不思議と五行の関係も関わっているのです。
ちなみに、病気を煩っている人は、
土性の音楽つまりクラシックが効果的です。
不眠症の人やストレスが多い人には、
シューベルト『アヴェ・マリア』
シューマン『トロイメライ』
バッハ『G線上のアリア』
パッヘルベル『カノン』が効果的です。
またウツ状態には、
バッハ、ヴィヴァルディ、モーツァルトの
作品全般が特に有効だとされています。
★五行で観る音楽のパート
木性……ヴォーカル、弦楽器
火性……管楽器
土性……打楽器、ウッドベース
金性……エレキギター、エレキベース
水性……ピアノ、鍵盤楽器
五行のバランスで、
いま自分が足りない音楽を聴くことをお勧めします。
その意味でオーケストラは、
すべての五行がバランスよくブレンドされているといえましょう。
高尚な音楽は魔を祓ってくれます。
つまり一流のアーティストが演奏する音楽は、
結界を張る力があるのです。
しかし危険なことは「同じ音楽ばかり聞く」こと。
好きな音楽ばかり聞いていると、
偏りが生じてしまって、霊性の進化がまったく見込めません。
音楽は霊そのものです。
できるだけ世界中の、
ありとあらゆるジャンルの音楽を普段から聴くことです。
(原宿の占い師、中島多加仁)
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才能、地位、名誉に恵まれた男性は、
どのような女性を求めると思いますか?
顔は中ぐらいですが、
仕事熱心で上手に遊べる、明るく楽しい男性。
交友関係も充実していて、遊ぶ女友達もいます。
しかし、もう何年も彼女はいなくて独身です。
このような男性は、
どのような女性を好むものなのでしょうか?
ある程度の年齢で、地位を得ると、
恋愛対象に金銭や地位・名声・美貌・学歴などは
ほとんど求めないのです。
なぜなら、自分が高まるにつれ、
そういう見せかけに価値観を感じなくなるからです。
相手の女性に求める要素は、
「人間としての資質」
といったところでしょうか。
それは学歴や学力、何かの特化した能力ではなく、
社会人として当然あるべき知性。
列挙してみると……
正しい敬語が使える。
人とのコミュニケーションが取れる。
人前で知性のない身なりや行動をしない。
流行遅れの髪型やメイク、服装をしていない。
生活していく上での社会通念を身に着けている。
目上の人に対して失礼のない挨拶と会話ができる。
社会人として上位にいくほど、
人付き合いが膨らみます。
つまり出世する男性は、
自分にとってプラスになる女性を選びたいと考えるのです。
「できた奥さんですね」と思われるのは、
何かにつけて得するし、
また素直に嬉しいことだからです。
高学歴でなくてもよく、
上質な家庭で生まれ育ったことでもなく、
特技がなくてもよく、
まして資産を持っている必要もありません。
ただし、礼儀作法はきちんと身に着け、
大人として向上していることが大切なのです。
もちろん時代にあった生き方をしていること。
年齢や地位が下の人にも、
上から目線で接することなく、
慕われる気遣いと扱いができ、
人として常に学ぼうとする姿勢、
そして人を敬う気持ちを持っていること。
総じて言うと、
自分よりも知識や地位、お金があることじゃなく、
共に生きることでお互いが高まり合える、
尊敬し合えるということが大切な要素なのです。
taka
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世界中のものはすべて、
その根底では、心も物質もエネルギーも
つながった存在なのです。
だからこそ、なんらかの方法を使えば、
先に起きる出来事が予見できるというわけです。
いま起きている問題の過去からの影響を知り、
現状を把握して、さらに未来を予見する。
それが占いの真骨頂であります。
ことに、紫微斗数は「不気味なほどよく当たる」。
しかしその言葉には裏はなく、
けっして誇張された物言いでもありません。
実際、あまりにもはっきりと結果が映し出されるため、
永きにわたって極秘とされてきた幻の占術です。
さて、この先どうなるのか?
ぜひとも、脅威の的中率を誇る紫微斗数とタロットで、
徹底的に解析してみましょう。
紫微斗数とタロット。
この2つの占術は、とても相性が良い組み合わせなのです。
時期を見誤れば、命取りにもなりかねません。
「あの人はいま、何を考えているのか?」
何を想っているのかわからない相手の心のうちを、
のぞくことも可能です。
誤解や失言によって、こじれてしまった人間関係。
一緒に笑い合っていたあのころに戻れるのだろうか。
それを選べば、あれを捨てることになる。
いま進もうとしているこの道は、ほんとうに幸福へと続いているのか?
絶対に後悔したくない。
納得できる成果が欲しい……。
だからこそ、知りたい。
この決意を実行するのは、はたしていつなのかを。
人生の転機は突然舞い降りてくるのです。
タイミングを見誤らないよう、
タロットであなたを正しい方向を導きだしましょう。
taka
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微分積分数学を完成させた
ライプニッツという天才数学者がいました。
彼は「二進法思想」を考案したのですが、
じつはそれが
古代中国の「易」に表現されていたと知って驚嘆し、
そして中国の英知に讃辞を贈ったのです。
シンクロニシティは偶然の一致ですので、
故意に起こすことはできませんよね。
しかし、
シンクロニシティを関知する能力(予知や直感)を高め、
それが起こる「きっかけ」をつくることは可能です。
わたしたちは普段、外の世界の出来事に集中していますので、
意識の段階の「表層意識」しか使っていません。
もし、表層意識ではなく、
心の内面に意識つまり深層心理を活用することができれば、
容易にシンクロニシティを関知できるようになります。
いわば「瞑想」や「禅」などがするように、
座って目を閉じて、
「心の内面に集中する」ことを続ければよいわけです。
このとき、心のエネルギーは内面に集中されます。
すると表層意識の働きが鈍くなって、
外部のことは意識できなくなります。
希薄な意識の状態でいると、
しだいに未来がみえたり、
他人や動物などと心を通わせて
テレパシーで会話できたりするのです。
これは、よく知られる『マーフィーの法則』でも言われています。
彼の有名な言葉に、
「洗車しはじめると雨が降る。雨が降って欲しくて洗車する場合を除いて」
「失敗する余地があるなら、失敗する」
などがあります。
そして極めつけが、
「リラックスして念ずれば、すべてが叶う」
なのです。
心で念じたことが、実際の物を引き寄せる。
つまり「心」と「物質」はつながっている、ということです。
(原宿の占い師、中島多加仁)
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偶然を使った占いのなかで、
もっとも完成度の高い世界観が
「易」であるといえます。
易占は、ひじょうに数学的です。
「陰」と「陽」というたった2種類の記号の組合せだけで、
世の事象すべてを表現するからです。
よくみると易という文字は、
「日」と「勿」という字から成り立っています。
勿は「月」が変形したものだと考えられています。
ここにも陰と陽の理論がみてとれます。
さらに易の字源を
「蜥易(せきえき)、象形(しょうけい)なり」
として、トカゲ類の象形ともしています。
トカゲは身体の色がよく変わることから、
易の字には「かわる」という意味があります。
変易(かわる)
不易(かわらない)
という言葉がそれです。
また、易簡(いかん)という言葉があります。
意味は「たやすい」です。
易は六十四卦(か)をもって
天地間のあらゆる事象を説明しているため、
複雑のように思います。
しかし陰陽の二爻(こう)に基づいて説明するため、
簡単明瞭……つまり『易簡』なのです。
天地間のあらゆる事象はつねに変化してとどまることがない、
すなわち『変易』です。
しかし、その変化のなかにも、変わらない法則性がある、
すなわち『不易』であります。
易は、この変易と不易とを、
象徴と数によってたやすく示してくれるのです。
(原宿の占い師、中島多加仁)
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自然にあらわれる「前兆」
これが占いの素朴な形であり、占いの根源です。
しかし、前兆占いだけでは、
自然にあらわれる現象を待つしか、
未来を知る手段がありません。
しかも仮になんらかの前兆があっても、
範囲が広すぎてはたして何の前兆か特定するのが困難です。
そこで古代の知恵者は、
ただ待つのではなく、自分から未来を知る方法を探しました。
シンクロニシティが出現できる道具を使って、
自分たちで「前兆」を得られるようにしたのです。
まず古代の占い師は「知りたいこと」と同調させて
「亀の甲羅」を焼き、
甲羅に入ったヒビによって未来を読みました。
このヒビの象形が「卜」であり、
それを「口」で伝えるため「占」という文字が生まれたのです。
もちろん、占いの道具は、亀の甲羅でなくてもかまいません。
鹿の骨なども使われていましたし、
古代メソポタミアでは動物の臓物で占ったりもしました。
また、水晶玉を集中して見つめることで、
中心に白い煙のようなものが見え、
それをもとにイマジネーションで占ったりもします。
前兆が起きるのを待つのではなく、
みずから現象を起こすことによって、
知りたいときに未来が占えるように進化したのです。
けれど、亀卜には大きな欠点があったのです。
亀卜のヒビ割れは、そのパターンが膨大すぎて、
何の「しるし」なのか煩雑なのです。
これは水晶玉の煙もおなじです。
厳密にいえば、ひとつとして同じヒビ割れはないのですから。
こういった原始的な占いは、
けっきょく占い師の直感が決め手となります。
つまりその占い自体は、未来をはっきりと示すものではないのです。
未来を示す印しのパターンが無限な亀卜をさらに進化させるため、
知恵者が編み出したのが占星術です。
いくつかの星と12の宮で構成されている世界観によって、
起きる状況を限定しました。
そして、自分が知りたいことが、
どの状況に当てはまるのかを占うことが可能となったのです。
そのおかげで、ヒビ割れ模様で悩む必要もなくなりました。
古代中国の知恵「易占」も、
占星術と同じように、世界をいくつかに分類してあるので、
どの状況にあるかを端的に調べることができます。
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(原宿の占い師、中島多加仁)
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偶然のなかに神秘がある--。
それを科学的に解釈しようとしたのが、
スイスの心理学者ユングでした。
あるときユングが、若い女性患者と話していたときのこと。
窓を背にして女性の前に座って、
彼女の雄弁ぶりに聞き耳をたてていたのです。
その前夜に彼女は、
誰かに黄金のスカラベ(神聖昆虫)を贈られる
という印象深い夢をみたのです。
すると、彼女がまだこの夢を語り終えないうちに、
何かが窓をたたいている音がしました。
振り返ってみてみると、
かなり大きい昆虫が飛んできて、
外から窓ガラスにぶつかり、
どう見ても暗い部屋の中に入ろうとしているのです。
ユングはすぐに窓を開けて、
中に飛び込んできた虫を空中で捕らえます。
それはよく見かけるバカラコガネムシでした。
緑金色をしているので金色のスカラベにもっとも近いものだったのです。
「これがあなたのスカラベですよ」と言って、
ユングは女性患者にコガネムシを手渡します。
この出来事のせいで、彼女の理知的な抵抗の氷が砕けたのでした。
このような出来事は、枚挙にいとまがないでしょう。
噂をしていた人物がとつぜん現れた。
考えていたことを隣の人が話し出す。
遠い旅先で知人にあう。
必要としていた物を貰う。
自分で買ったものをすぐ人から貰い、
同じ物が集まってしまう……数えだしたら切りがありません。
これらの現象をユングは、シンクロニシティ(共時性)と名付けました。
「日食が起きると悪しき事件が起きる」
「白鹿が現れると良いことがある」
など、世界には大昔から、多くの前兆占いが存在します。
この前兆こそが、占いの起源なのです。
日本でも「下駄の鼻緒が切れると不吉」などの伝承があります。
前兆にはそれぞれに由来があり、
単に「迷信」と一笑できない古代の知恵もあります。
インドの前兆占いを集成した「ブリハット・サンヒター」には、
前兆占いの基本理念が書かれてあります。
「異変とは自然状態とは異なることである。
人間の悪行によって罪が重なり、災いが生ずる。
その天と中空と地の災いを、あらかじめ知らせるのが異変である」
人間が自然の秩序を乱すような生活をしていると、
それに同調して天地も乱れてくる、というのです。
するとそのシンクロが広がり、
世の中の小さなことにまでその異変が及ぶ。
だからその小さな異変を見て、
世の中の乱れを知ることができる、というわけです。
世の中のすべてのものがつながっているのなら、
一部分に乱れができた場合、
他のものにも少なからず影響があり、
なにかの「しるし」=前兆が現れる、というわけです。
星読み師★taka
(原宿の占い師、中島多加仁)
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占いの目的は、きわめて世俗的で功利的なものが多いのです。
実際に知したいこと……
個人においては
「この1年を幸福に過ごせるか」
「病気にならないか」
などです。
また農作の程度、漁の不出来、狩りや仕事の首尾、
商いの成否、金銭の運不運、天候や災害、
結婚の成否、生児の男女や将来の予測など。
世界に広く分布しているものに「夢占い」があります。
夢のなかに現れた人物や現象、色、行動などが
その象徴体系に基づいて解釈されます。
また、神霊や精霊に憑依されて忘我陶酔した
シャーマンや霊媒師の言動による占いも広く行われています。
ただしこれらは、神や祖霊、精霊などに問うという形なので
「託宣」というものです。
あるいは日本で流行った「こっくりさん」のように、
無意識の筋肉運動を利用した占いがあります。
これも一種の降神術のような占法です。
竹や箸状の30センチくらいの棒を3本用い、
その上部3分の1ところを麻縄で縛り、
三脚状に棒を開き、
その上に盆や飯櫃(めしびつ)のフタをのせ、
それを数名が囲んで座り、片手をその盆の上にそっとのせる。
「こっくりさん、こっくりさん。どうぞ足をあげてください」
というと、3本の棒のひとつが持ち上がる。
そうすると「こっくりさんが降りてきた」と解釈して、
いろいろなことを問い出すのです。
竹は女竹(めだけ)がよく、
3人のうち1人は女が座るとよいといいます。
「こっくり」は『狐狗狸』と書くのですが、
それは、狐・天狗・狸の3つの動物の霊が憑くと考えた当て字です。
江戸時代から行われたようで、明治19年ごろ流行し、
花柳界で盛んに行われました。
アメリカの船員によって伝えられたといわれます。
栃木県の芳賀(はが)郡茂木(もてぎ)町では
この遊びを「ホックリサマ」といって、
昭和10年(1935)ごろに流行したようです。
偶然に意味をもたせようとするクジ、作卦(さくけ)、
トランプ占いなどは世界中に起こっています。
アフリカのアザンデ族やレレ族などでは
摩擦台板とよばれる占いの道具が使われています。
とくに修行していないものが、
我流でやると低級霊に感応する、といわれています。
タロットも易が、なぜあたるのか。
それを紐解く鍵が、ここにあるのです。
つづきは、明日。
(原宿の占い師、中島多加仁)
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占いの本来の目的は、
1)真実の探求
2)ものごとの選択
3)未来の予測
の3つです。
物事の真実を知りたいという欲求は、
人間にとって基本的なものです。
さらに、災害や病気や死亡の原因を知ろうとする。
なくした物や盗品の所在、
あるいは泥棒や行方不明者の探索なども、
卜占(ぼくせん)の目的のひとつでした。
ただ、その手段方法が恣意的であり、
偶然に左右されることが多かったために、
より進んだ科学的な方法が考え出され、
占いによる真実の探求は、
たあいもないお遊びに成り下がってしまったのです。
次には「選択」という目的があります。
人生や日常生活のなかで、
選択を迫られる場面が数限りなくあるからです。
そういう場合に、判断力が高ければ、
親兄弟や先輩、知友の意見を聞きながら、
最後は自分で自分の方向を決めるでしょう。
しかし現実には占いに頼る人も少なくありません。
人間の心は折れやすく、そんなに強くできていないのです。
3番目には未来の予測です。
人はだれも未来を正確に知ることができません。
科学は、理論的あるいは実証的に未来を予測する技術ですが、
卜占は直観的にそれをとらえようとします。
そういう意味では宗教も、直観的にとらえようとするのですが、
卜占のほうがより連想的です。
(原宿の占い師、中島多加仁)
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日本人は、欧米人に比べて
とくに気を遣いやすい人種です。
「どうみられているか」
「よく思われたい」
と気にする心のあり方は、
腎臓や膀胱に関わっているのです。
ですから、腎と膀胱がわるい人は、
人間関係で周囲への気遣いが敏感なのです。
もっとも敏感なのは膀胱と生殖器官です。
おねしょとか頻尿とか、
生理不順や冷え性など、
腎系にかかわる症状は
「恐怖」や「不安」と密接な関係があるんです。
腎臓が悪いひとは、
とりあえず、小豆や昆布、かぼちゃなどを
常食するとよいです。
それと魚・肉・牛乳はしばらくひかえて、
玄米をよく噛んで食ぺるといいですね。
腎は「水性」ですから、
その前の「金性」と補完しあっているんです。
とある30代後半の女性。
長くボランティアをしていたのですが、
しんどくなって、やめたところです。
「環境問題について懸念があっても、なかなか伝わりません」
と悩んでいました。
かなり無理をしていたようです。
「やめたらホッとして、やっと息が深く吸えた」
とおっしゃっていました。
思いやりの「情」という気持ちに、満足がえられなかったんですね。
その場合、「土性」の食欲の方で満たそうと働きます。
すると食べ過ぎて、胃や脾を使いすぎ、
結果として、腎を痛めてしまいます。
たとえば、
専業主婦や下積みの長いOLさんが、
ストレス解消のため
甘いものを頻繁に食べる傾向にあります。
本来の甘いものとは、
穀物の噛んでえられる「甘さ」をいうわけですから、
砂糖の甘味をとりすぎると
「脾」を痛めて、低血糖症候群になり、
ひどければ糖尿病になってしまいます。
イライラして甘いものを食べると落ち着く……というのは、
麻薬中毒と似ています。
これが毎日続くと、かなり危ない兆候です。
そういう場合は、
自分の気持ちを解放するため、
イキイキと楽しむことです。
そして、
不安をかられるような恐怖映像は見ないことです。
不安をかられるような文章を読まないことです。
地震が続いて、
しかも原発も恐怖も重なっています。
ネットやテレビばかり見ていると、
さらに恐怖心が根深く植え付けられますよ。
なるべく家を出て、外の空気を吸ってください。
とくに、美しい音色の音楽は腎系にもよく、
また、ダンスなど足や腰を使うのもおすすめですね。
意識的に、からだを解放してあげてくださいね!
(原宿の占い師、中島多加仁)
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卜術(ぼくじゅつ)とはなにか
紫微ホラリーを活用しようとする場合に、
とくに留意しておかなければならないことがあります。
それは、ただひとつ、
迷いを生じた瞬間に集中して占うということです。
たとえば、いろいろ悩んだり迷ったりしているけれども、
忙しかったり、精神的に落ち着かなかったり、
イライラするほど空腹だったり、
逆に満腹で眠気すら感じるような状態では、
おそらく正しい答えを得ることはできないでしょう。
心を澄まして
「良くも悪くも自分に与えられた天命を知るのだ」
という達観した境地で取りかかることが、
もっとも望ましい姿勢なのです。
しかし、どのような気持ちで占うにせよ、
またどのような状況で占うにせよ、
占いの結果が、その「時」に左右されることは避けられません。
逆にいえば、その「時点」で占いの行動を起こした、
ということそれ自体が、すでに天命の一部なのです。
さらにいうと、ホラリーでは
一度の占いで「ひとつのこと」を占うのが原則となります。
たとえば、結婚の場合でいいますと
「相手との相性を占う」のと
「その縁談が成立するかどうか」というのは
内容が異なります。
そういう場合は、別々に占わなければなりません。
一回だけの占いで、すべてを判定することは困難なのです。
また、占う内容は、できるだけ差し迫った、
それも具体性のあるものでなければなりません。
職業の例でいえば、
「今の仕事は、自分にとって適職なのか?」
あるいは
「今年、転職したほうがよいのか?」
と占えば、かなり具体的なアドバイスが与えられます。
が、「やるきがないけど、どうしたらいいか」
といった漠然とした迷いには、
結論を引き出すことができません。
そして、これがもっとも大切なことです。
それは、おなじ質問を近日中に続けて二度占うことはできないのです。
いや、やってはいけないのです。
一発秘中の占い、それが紫微ホラリーだからです。
(原宿の占い師、中島多加仁)
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迷いがない人はいません。
しかし迷わない人間に占いは根本的には必要がないです。
明智光秀は「本能寺の変」の前に、神社に立ちよって運を占いました。
光秀は「大吉」が出るまで何度も何度もくじを引いたといいます。
本能寺の変の決断後も、けっきょく自信が持てなかったのでしょう。
本能寺を焼け払ったあと、信長の遺骸を探し出せず、
「信長はまだ生きている」という噂が立ちます。
この噂は光秀を動揺させました。
それが秀吉との戦いの敗因の一つとされています。
反対に織田信長は、
桶狭間の戦いの前に熱田神宮に戦勝祈願に訪れていますが、
祈願のみで、おみくじは引いていません。
きっと信長には迷いがなかったのでしょう。
熱田神宮から一気に戦場に向い、勝ちをもたらしました。
二人の性格を良くあらわしているエピソードだと思います。
占いを推進する立場にいながらこういうのもなんですが、
強い人間はもともと占いに興味を持ちません。
しかし現実をみると、
どうやら一流の経営者は占術を重視しますが、
二流・三流の経営者は自己啓発に魅了されやすいようです。
人間は弱い存在です。
それの己の弱さを熟知した人だけが、
一流のリーダーになる資格を得るのかもしれませんね。
(原宿の占い師、中島多加仁)
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ほんとうに日本人は占いが好きです。
占いは、わたしたちの暮らしのリアルな問題なのです。
産まれた赤ちゃんの命名や学校選びからはじまって、
結婚相手を選ぶときも、住居探しにも、
占いをその決断の参考にしようとします。
多くの人は「たかが占い」と軽んじながらも、
しっかり生活に密接に結びついていますし、
生活のいたるところに占いが幅をきかしているのです。
しかし、それはある意味、占い依存症の人が増えているということです。
なぜこんなに日本人は占いが好きなのでしょうか?
自分の生き方に迷ったり、思うように仕事や勉強や恋愛が進まないとき、
何気なく読んでしまうのが占いの記事。
そのコメントにうなずいている自分があったりします。
占いの記事に興味を持つ人は、占いの内容が、
自分に必然の糸でつながれているように感じているはずです。
どうして日本人はそれほどまで占いにとらわれたのでしょうか。
書店に並ぶさまざまの雑誌や、占いのコーナー、
そしてテレビ番組はその存在を主張しています。
しかし雑誌やテレビ番組は、不特定多数を相手に作られています。
ですから、表現方法は類型的でなければなりません。
そこで取り上げられる占いというものも、
生活体験での共通項から導き出されているわけです。
「災いを避けて、幸運を招きたい」
だれもがそう思います。当然の心理でしょう。
日本でもっとも確立された占いとして「高島易断」があります。
なぜあそこまで発展したのかというと、
初代総理の伊藤博文の死を予言したことがあげられます。
博文に忠告したにもかかわらず、朝鮮で暗殺されたという史実です。
それ以来、政治家の影に占い師がいるような流れとなったのです。
どんな大人物でも悩みや、心配はありますから。
そして「占い」は本来、宗教的儀式でした。
日本人が占い好きな民族なのは、日本人の宗教観と関係があります。
おみくじとタロット、星座占いと手相、そして方位学を信じる民族。
正月は神社へ初詣に行き、年末はクリスマスを祝い、
教会で結婚式を挙げ、葬式はお寺(仏教)で。
と、キリがありません。
日本人は宗教行事が大好き。
でも、宗教団体は大嫌いです。
なぜなら日本人は、八百万の神を信じている民族だから、
特定の宗教だけを信じることに慣れていないのです。
それが、日本人を占い好きにした一番の原因だと思われます。
(原宿の占い師、中島多加仁)
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占い師も霊能者も、職業として成り立たせるには、
やはり「口コミ」が鍵です。
とくに宣伝しなくても、
紹介が紹介を呼び、自然に広まっていくものです。
現在、口コミには2種類あります。
ひとつはインターネットによる口コミ。
もうひとつは、知人の紹介。
前者は、かなり広範囲に渡ります。
いまの世の中、とても重要なファクターです。
ホームページやブログなどによって、
全国から、まれに海外からも依頼が来ます。
まったく見ず知らずの人から、とつぜん連絡が来るのです。
しかし、どこの誰が言ったか分からないような口コミは、
あまりアテにはなりません。
やはり、もっとも大事なのは「知人の紹介」です。
ぼくの場合、開業当時、3名の友人が自発的に宣伝してくれました。
その3名だけで、毎月20名以上は予約で埋まり、
さらにその紹介の紹介で、多い時は100名を超えました。
それはぼくが開業したばかりの出来事です。
翌年から、その3名による紹介は徐々に減り、
まったく別の知人が口コミをしてくれるようになります。
持つべきものは友だちですが、
じつは、友だちはアテにはできません。
頼んでもやってはくれないからです。
かりに頼んで広めてもらったとしても、
そこには魂が込められていないので、絶対に響きません。
頼まなくても、自主的になってもらわなくては効果がないのです。
占い師という職業は「知人の紹介」がなければ長く続けていけません。
ネットの口コミは、一過性のものが多いです。
もちろん、そこからつながってコアなクライアントになる場合もあります。
ぼくの場合、こうしてブログを書くのは、
「宣伝」というよりも、むしろ「外交」です。
外交とは「種まき」です。
眼が出るまでには時間と労力がかかり、
さらに天候の具合も関与します。
占い師のような職業は、あまり宣伝の効果はありません。
大事なのは外交……つまり「社交」です。
より多くの人と「生」で関わることです。
関わった人が多ければ多いほど、
そこから口コミで広がる率も高くなるのです。
あらゆるジャンルの人、あらゆる業界の人、あらゆる立場の人、
どこから広まるかなんて、誰にも分からないんですよ。
これはですね、どんな優秀な占い師にだって分からないんです。
「お、このひといい人脈持ってるな」と思っても、
それは計算通りにはいかない。
なにげなしに、なんとなく思っていた人から、
思いもよらない紹介が来るのです。
これは恋愛に似ています。
恋愛も、片思いしている相手から告白されることなんてないじゃないですか。
営業も恋愛も、種をまくことが大事です。
すぐに結果は出ません。
結果を求めるのではなく、種を蒔いておくことです。
占い師はメディアに出る必要はありません。
メディアに出ていなくても、本を出していなくても、
立派に経営されている占い師はたくさんいます。
むしろメディアに出ていないほうが、
密かに売れている場合が多いです。
恋愛も同じです。
メディアに出ているひとのほうが、離婚率が高いですね。
地味にしていても、モテる人はモテます。
モテる人は、結果を急がない人です。
かといって、メディアに出てはいけない、というわけでもありません。
メディアに出ると「九紫火星」の影響を受けます。
なので、一過性ですがボッと火がつきます。
それにうまく乗じて、努力を怠らず、謙虚に業務を遂行すれば、
そのまま流れに乗って人気占い師となるでしょう。
が、ほとんどの場合、
慢心してしまったり、天狗になったりして失敗してしまいます。
ようは、自己制御能力が大事なのです。
さて。
占い師はすべからく「個人事業主」です。
雇用というスタイルは存在しません。
給料など発生しません。
鑑定したときの見料が、すなわち収入です。
ですから、ある程度の利益が出たら、かならず確定申告をしてください。
会社をもっているひとは、すべて会社の収入にすれば問題ありません。
占い師は「仕入れ」がありません。
お客さまから受け取った金額が、ほぼすべて利益になります。
そこから広告宣伝費や場所代、交通費など、
諸経費を引いた金額が実際の手取りです。
製造業や飲食業のように「仕込み」もありありません。
大事なのは、占いに必要な「知識」と「経験」だけです。
この知識を得るために、
けっこう莫大なお金を投じている人が多いようです。
必要のない専門書を大量に購入したり、
実践的じゃない講座ばかり受講してみたり、
そういう人は、なかなかプロにはなれません。
とくに、自己啓発系や癒し系のセミナーにハマっている人で、
稼いでいる占い師はほとんど皆無です。
だいじなことは、
地に脚をつけること。
つまり、たくさん経験を積むことです。
理論より実践です。
実践すれば、自分の知識の浅い部分がわかります。
何を勉強すれば良いかが理解できるのです。
そのときはじめて、理論武装のための勉強をすればいいのです。
勉強なんて、必要に迫られてすればいい。
ベテランの占い師でも、いちから紫微斗数を勉強される方は多いです。
そういう謙虚なひとは尊敬に値しますし、信頼ができます。
占い師は、信用と信頼です。
尊敬は、されたほうがいいけど、されなくても差し支えないです。
ぼくの友人たちは、別にぼくのことを尊敬していません。
ぼくの家族も、けっして尊敬なんてしてないはずです。
でも、たくさん紹介してくれます。
それは信用と信頼からです。
ちなみに恋愛も、信用と信頼なんですよね。
結果を求めず、種をまき続けること。
これが成功の秘訣です。
(原宿の占い師、中島多加仁)
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どんな職業にも、向き不向きがあります。
当然占い師にだってあります。
よく聞かれるのが、
うつ病のひとは占い師に向いているか?
霊感があったほうがいいか?
不幸な体験は多いほうがいいのか?
という質問です。
たとえば、
占い師がクライアントと同じ悩みを経験している場合、
それが改善したという話を聞かされて
「じゃあ自分も良くなるんだ」という希望を持つ人と、
逆に「この先生で大丈夫なのか?」と不安になる人がいます。
大事なことは、
占い師は、つねに一歩引いて冷静に判断することです。
クライアントに共感はするけれど、
同調してしまうと、ただしい鑑定はできません。
占いはクライアントが主役ですから、
やはり躁鬱の人は、占い師としての活動は控えたほうが無難です。
当の占い師が極度の躁あるいは鬱状態になれば、
被害を受けるのはクライアントです。
一言でいえば、
占い師の仕事は「接客業」と「教育業」であるということです。
その点を重視して、
単純に向き不向きを分けてみましょう。
向いている人 向いていない人
・楽天的な性格 ・不安症で粘着質
・わりと人間が好き ・人間があまり好きではない
・人に共感できる ・自分のことで精一杯
・愛情が深い ・愛情が薄い
・読書が好き ・読書が嫌い
・
批判されても平常心 ・批判されると心が乱れる
・
他人の毒舌に耐えられる ・毒舌を聞くのが苦手
・
社会の動きが気になる ・社会情勢に興味がない
・
教えることが好き ・教えることが苦手
・
友人が多い ・友人が少ない
・
人の目があまり気にならない ・人の目が極度に気になる
・
悩み相談をよく受ける ・悩みをあまり相談されない
・
つねに連絡が取れる ・よく連絡が取れなくなる
まぁ、ざっとこんな感じでしょうか。
もともと躁鬱の性質がある占い師は、
時として神懸かり的な鑑定をします。
なので、うつ病のひとが占いに共鳴しやすいのは事実です。
が、それがすなわち「占い師に向いている」とは違います。
霊感……つまり霊的に敏感な人というのは、
本来見えないもの(見えるべきではないもの)が見えたり、
感じたり、聴こえたりするわけです。
いわゆる特殊能力なのですが、
この能力を持っている人には、2つの選択肢が与えられます。
ひとつめは、この能力が一般生活で出ないように工夫する。
ふたつめは、その能力を役立つように使う。
できればない方がいいけれど、
どうしても身に付いてしまった、というのは仕方がないです。
身に付いてしまったら、常人より一層の社会性を身につけること。
そして霊感を役立たせ、一流の占術家を目指すのもいいと思います。
その場合、なるべく必要以上の嘘をつかないことです。
虚言癖があると、霊能者としての資質そのものが疑われます。
だから霊能者はできるだけ正直に生きることが大事です。
わからないことは「わかならい」と正直に言うこと。
大言壮語も禁物です。
なかなか、ここが難関なのですけれども。
ぼくはいままで、
たくさんの霊能者のかたに、占いを教えてきました。
その結論として、
占いをただしく身に付ければ、基本的に霊能力が薄くなっていきます。
あるいは、自分でコントロールできるようになるのです。
ということは裏を返せば、
占い師には霊能力が必要ない、という意味なのです。
「こんな能力、なくなってしまいたい!」
と思っている霊能者も少なくありません。
その考えは、どちらかといえば正しい思考かもしれません。
なぜなら、ないほうが幸せだからです。
紫微斗数でみれば、優れた霊能者と等しく人間の本質が分かります。
六壬神課でみれば、優れた霊能者と等しく問題の本質と動向が明らかとなります。
さらにいうと、
「命盤」や「式盤」を使うことによって、
相手のマイナスな感情や「気」を濾過することができます。
しかし霊能力は、
ダイレクトに相手の気を受けます。
だから不幸になったり、短命になったり、異常に太ったり痩せたりするのです。
知らず知らずのうちに、大げさな言動が身に付いたりします。
そういう自分の性格が嫌いで、自分を愛せなくなってしまう人もいました。
占い師は「人生の教師」です。
教師というのは、生徒のお手本なのです。
だから、愛情を持って接することが大事です。
愛の欠如からすべての不幸が産まれる、と、ぼくは思います。
自分の出世はあとまわし。
とりあえず「目の前の悩んでいる人をどうにかしなきゃ」というのが愛です。
泥臭いようですが、これが本質なのです。
(原宿の占い師、中島多加仁)
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数日で、大災害から1ヶ月がたちますね。
毎日のように報道される、あの凄惨な状況を見て、
多くの人が不安に駆られていると思います。
直接被災された方はもちろんですが、
放射能に怯えながら生活している人、
さらには……
あまりにもおおきな震災によって
職を失った方が多数いらっしゃいます。
震災の影響は、
ようやく見つけた仕事さえも奪います。
フリーランスの友人たちは、
「いやぁ、暇ですよ。このままどうなっちゃうんだろ」
と漏らしています。
アルバイトの青年たちは、
企業の営業縮小によって、
シフトが減らされています。
正社員はともかく、
契約社員や派遣社員の皆さんも、
まっさきに解雇の憂き目に遭いそうです。
東北で被災した若い人たちは、
仕事を求めて東京に出てくるでしょうから、
ただでさえ就職難なのに、さらに追い討ちをかけてきます。
心配事は減りませんね。
こんなときこそ、
「案ずるより占うが易し」
だと思うのです。
占い師に頼るのもいいですが、
まず、自分で自分のことを
占えるようになってみてはいかがでしょうか。
ある程度ならば、
勉強すれば誰にでもできます。
いま、なにかしたいけど、何をしたらいいか分からない。
将来に不安をもっている。
そんな人は、
迷わず占いを勉強するべきだと思います。
「占い」といっても、それは気休めではありません。
人生を哲学し、スマートに生活するための知恵、
それが『運命学』なのです。
占い師には、いくつかのパターンがあります。
雑誌やテレビな度で紹介するエンターテイメント的な占い師。
街角やデパートなどで店を構える商業ブース的な占い師。
自宅でひっそりやっている知る人ぞ知る占い師。
などなど……。
なにがよくて、何が悪いというわけではありません。
問題は、占い師自身が、
きちんと「自分の将来を占えているか」がポイントなのです。
「自分を占えなくて、なんのための占い?」
ということです。
占うことによって、
あらゆる悩みが整理され、迷いが消えます。
しかし、それは占いの力というより、
占い師の「腕」と「人間性」にかかってくるわけです。
占い者は、カウンセラーとは違います。
まして予言者とも違います。
高度な占術家は、
まず、自分が何のために産まれて、
何をすれば良いのか、それを示唆してくれます。
そして、なぜ楽に暮らすことができないのか、
その理由を明確にします。
人間は2種類のタイプがいます。
楽に暮らせる人と、苦労する人です。
それは「生まれ育った境遇」と「性格」によって決まります。
それを運命学(本格占術)によって把握し、
正しい方向の努力をすれば、
これからの生き方をプラスに導き出すことができます。
過去は変わらないけれど、現状の把握と選択によって、
未来は変えることができます。
(原宿の占い師、中島多加仁)
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紫微斗数を教えるとき、
ぼくはよく、カレーライスに例えて説明しています。
命宮の位置……ジャンルとソースの種類
主星……格になる具材
副星……スパイス
四化星…隠し味
命盤は、大きく分けて4種類になります。
東方木局……寅、卯、辰
南方火局……巳、午、未
西方金局……申、酉、戌
北方水局……亥、子、丑
となります。
東方木局(寅、卯、辰)は一般的な家庭風カレーです。
南方火局(巳、午、未)は辛い本格アジアンなカレーです。
西方金局(申、酉、戌)は高級素材を使った欧風カレーです。
北方水局(亥、子、丑)はマニアックなスープ系カレーです。
※ちなみに、日本におけるスープカレーの発祥は北海道です。
そして主星はメイン具材です。
カレーに使う主な具材は、やはり肉あるいは魚ですよね。
紫微、天府、天梁は高級な牛肉。
廉貞は赤いバラ肉かミンチ肉。
武曲は身の引き締まった豚肉。
七殺、破軍、貪狼は脂身の乗った豚肉。
太陽はマトンとか馬とか。
天相、天同、太陰は鶏肉あるいは魚介類。
巨門は骨付き鶏肉あるいは風変わりな魚介類。
天機はヘルシーなベジタブル志向の具材。
と、まぁこんな感じでしょうか?
さて。
命宮と身宮に入っている主星の数が多ければ、
それだけ沢山の具材を使っているということ。
ちなみに命無星曜(命宮に主星がないこと)は、
具材がソースに溶け込んで形が無くなった
よく煮込まれたカレーだと思います。
そして、さらに副星が加わります。
副星の数が、スパイスとなります。
文昌、文曲、左輔、右弼、天魁、天鉞、禄存などの吉星は、
香りの良い、そして健康的なスパイス。
羊刃、陀羅、火、鈴、天空、地劫、天刑などの凶星は、
アクの強いマニアックなスパイス。
だと考えることができるでしょう。
さらに四化星(化禄、化権、化科、化忌)は、
食べてみないとわからない「隠し味」なのです。
四化星が多く加会しているひと、
また自化禄や自化忌など、隠れた化星を持っている人は、
予想できない意外な隠し味を使っているのです。
さぁ、あなたはどんなカレーですか?
命盤をよく観て考えてみてくださいね。
(原宿の占い師、中島多加仁)
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卯の花が咲く季節。
ゆえに4月を「卯の花月」といい、
略して「卯月」とする説が一般的です。
卯月の『う』は、
「初(うい)」とか「産(うぶ)」の『う』で、
循環の最初を意味したという説もあります。
「卯」は、夜明けの6時前後の2時間帯です。
風水では「春」と「朝」を指します。
しかし「卯月」は、陰暦4月の異称なのですが、
十二支で「卯」といえば新暦3月であり、
旧暦だと1月から2月に該当します。
十二支でいうと新暦4月は「辰」なのに、
なぜ「卯月」というのかは謎です。
冒頭で述べたように、
「卯の花」の咲く月というのが有力ですが、
「植月(うつき)」で、
「稲の種を植える月」という説もあります。
ちなみに、4月の8日を
「卯月八日(うづき-ようか)」といって、
近くの高い山に登り、
花を摘んで仏前に供える行事がありました。
この日は釈迦の誕生日ですね。
仏に甘茶をかけ、参拝者はそれを飲む風習があります。
その甘茶で墨をすって、
「千早振る 卯月八日は吉日よ 神さけ虫を成敗ぞする」
と書いて貼っておくと虫よけになる、という俗信もあります。
新暦4月は春盛りの時期ですが、
本来は旧暦月の称え名ですから、
卯の花の咲く初夏、つまり田植えの季節を指しているのです。
古来より日本人は、
花の咲くのを見て霊魂を感じ、
稲作の吉凶を占い、
花の散るのを見ては疫病の到来を警戒してきました。
日本人にとって卯の花は、
桜の花と同様、神や祖霊の象徴であり、
季節の変わり目を知らせてくれる目印だったのです。
被災者の方々のことを思うと、
いま素直に楽しんでいられません。
ほんとうに冬の厳しい時期だと思います。
しかし春はかならず訪れます。
だいじな家族を失った方も多いでしょう。
住まいも家財道具も、仕事道具も流されてしまって
残ったのは多額のローンだけ、という人も多いでしょう。
でも、人間は生きていかねばならない。
どんなに苦しくても、耐えていかねばならない。
それは人生にとって長い冬の時期なのだと思います。
もともと東北は冬が長い地域。
しれは、歴史もしかり、人生もしかり。
でも、いつかやがて、かならず花が咲く。
春はやってくるのです。
冬には冬の過ごし方、
春には春の過ごし方があるはずです。
今回は、何事もなく無事であったけれど、
生きていれば、かならず何かしらの災難に遭います。
だからいま、災害の番組をみて、
これからの人生に備えようと思います。
日本にとって、いまは、
長い冬の時代に入ったばかりなのかもしれません。
人間は「慣れ」によって感情をコントロールできます。
つまり、対応する力を養えば、
あらゆる苦難を乗り越えることができます。
まさに冬は、それを身に付けるときだと思います。
taka
(原宿の占い師、中島多加仁)
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