ひとは、なぜ騙されるのか。
西洋のことわざに、
「ある男が初めて君を欺いたときには、
彼を辱めるがいい。
しかし、その男がもう一度君を欺いたとしたら、
君自身を恥じるがいい」
という格言があります。
人は騙される生き物です。
では、なぜ騙されるのでしょうか。
だまされる人は、
無知というより、むしろ精神が弱いのです。
人が騙されるのは、本能的に自分と同類の種族だからだといえましょう。
たとえば、動物は同じ種族ならそのリーダーに従い、
絶対に裏切ったりはしません。
動物界では仲間意識が強いわけです。
人間もそれと似ていて、
「仲間意識が働いて、信じてしまう」
という心理状態なのです。
「信用」「信頼」「信仰」は、
どれも「信じる」という意味を兼ね合わせている類義語ですよね。
その意味を、それぞれ解釈してみましょう。
信用とは・・・常識的範疇の消極的な人間関係。
信頼とは・・・相手を頼りにすること。積極的な関係。
信仰とは・・・何らかの畏怖の気持ちが根源にある。
まず、信用が一番の元にあり、
そこから信頼が生まれ、
それがやがて信仰へとなるわけです。
「信用」の場合は、消極的な意味なので、
とくに何かの利害がなければ損をすることはありません。
信用程度では「騙される」という言葉の意味には適用されないのです。
もちろん「疑っていても騙される」ことはあります。
「騙す」のと「騙される」というのは、
自分と相手があり、第二者の意志があって初めて成立するものです。
「騙された」という言葉には「損した」という気持ちも含まれます。
実社会のなかで、
「信用していたのに裏切られた」=「騙された」という話は
枚挙に暇がありませんね。
しかし、それをもって、
「信用するから騙されるんだ」
と言い切ることはできません。
これを肯定してしまうと、
「騙されないためには疑い続けよ」
という主張が成り立つからです。
手品で、人は簡単に騙されます。
「そんなこと現実に起こるはずがない」
と疑っているにも関わらず、ほとんどの人が騙されています。
つまり、人間は、
「信じる、信じない」とか「頭がいい、悪い」
とかに関係なく、騙されてしまっているということです。
それはいったい、どういうことでしょう。
騙されるというのは、無意識のなかでの「戦略」なのです。
つまりひとは、生き抜くために騙されているのです。
現に、騙されやすいほうが、わりと楽しい人生を送れています。
「騙されやすい人」というのは危険な感じがしないので、
まわりから好かれることが多いからなのです。
もちろん、騙されることで致命的な傷を負うこともありますが、
たいていの人間は騙されながら生きています。
反対に、騙すことが慣れている人は、
いつも自分に煩悶しながら生きていかなくちゃならないのです。
だから人間は、自覚なく、
「あえて騙される」という「戦略」を立てているのです。
逆説的な言い方をすると、
人間を信用している人のほうが、かえって騙されにくいとも言えます。
なぜかというと、人は、ながく無防備で人と接しているため、
騙そうとして近づく他者を経験的に見分けられるからなのです。
これは男女の間でもそうです。
どちらかが騙されているから、うまくやっていけるわけです。
疑いながらも、信じている。
信じているけど、どこかで疑っている。
このバランス感覚が、まともな人間関係を生むのです。
完全に信じきるのも危険。
完全に疑ってしまうのも危険。
なにより人生は、すべてにおいて自己責任なのです。
そんなことより、騙されることを覚悟で
いろんなひとに会ってみてはいかがでしょう?
多くの、あらゆるジャンルの人種の話を聞くことで、
騙されなくなります。
いや、はじめは騙されますよ、誰だって。
でも、なぜ騙すのか?
どうして騙されちゃったのか?
そういう心理面を哲学的に考えることが重要なんです。
騙されるから成長する。
でも、おなじようなことで騙されないように。
この世は修行だから、
その訓練をするんです。
孤独にならないために。
taka