ある愚かな占い師の幸福
むかしむかし、ひとりの「頭の悪い占い師」がいました。
彼は、干支の順番を覚えるのに三年かかり、
四柱推命の命式を書けば、必ずどこかを間違えました。
それでも毎朝いちばんに道場へ来て、
掃除をし、花を替え、湯を沸かし、師の机を整えました。
頭の悪い弟子と、師の教え
ほかの弟子たちは、そんな彼を笑いました。
「そんなことをしても、占いは上手くならない」と。
けれど、師はいつも静かに微笑み、言いました。
「掃除の上手い者は、心も整う」
その言葉の意味を、彼はすぐには理解できませんでした。
星に感情を感じた青年
講義では、他の弟子たちが星や五行を次々と暗唱していくなか、
彼だけがノートの端で、ひらがなでメモを取っていました。
みんなが知識を競うように覚える中で、彼は感情を覚えていました。
「この星は悲しそうだな」
「この干支は、怒っているみたいだ」
それを聞いた仲間たちは、また笑いました。
「星に感情があるわけないだろう」と。
でも、人が泣くとき、彼の声だけが相手に届きました。
難しい理屈ではなく、心にふれる何かを持っていたのです。
「心が水をやる」運命という種
やがて、学びの速い者たちは次々に独立し、名を上げ、弟子を取りました。
しかし彼は、十年経っても同じ道場の隅にいました。
ある夜、弟子たちの中で最も頭の良い者が、師の前で論を展開しました。
「運命とは統計であり、心はその副産物です」と。
それを聞いた師は静かにうなずき、隣にいた彼を呼びました。
「おまえは、どう思う?」
彼はしばらく考え、首をかしげながら言いました。
「運命は……まだ起きていない出来事の種みたいなもので、心が水をやるんだと思います」
その場は静まりかえり、師は何も言わず、ただゆっくりと頷きました。
茶屋の占い師と、静かな幸福
それから数年後。
頭の良かった弟子たちは、弟子の弟子に裏切られ、名声を追いかけ、やがて疲れ果てていきました。
一方、バカだった彼は、小さな町で古い茶屋の一角に机を置き、静かに客人を占っていました。
彼の鑑定は当たるとも外れるとも言えません。
けれど、帰る人の顔には、いつも少しだけ安らぎがありました。
愚かさが、人の痛みを受けとめる力になる
ある夜、旅の僧がその茶屋に立ち寄り、
「あなたは、どうしてそんなに静かなのですか」と尋ねました。
彼は笑って言いました。
「昔は焦っていました。賢くなりたくて、みんなに追いつきたくて。
でも今は、愚かさがあるおかげで、人の痛みを怖がらなくなったんです」
僧はうなずき、灯のともる茶屋を後にしました。
夜の風で、茶屋ののれんが揺れています。
その音はまるで、遠い昔の師の声のように聞こえました。
「掃除の上手い者は心も整う」
愚かさという、祝福
愚かさとは、不完全さの別名です。
知恵とは、その不完全さをゆるした者に与えられる祝福です。
彼はいまも同じノートを開き、小さな声でつぶやきます。
「今日もわからないことがひとつ増えた」
それを恥じることなく、嬉しそうに。
愚かさを諦めなかった者だけが、ほんとうに人を救えるのです。











